2009年8月10日月曜日

やっぱり完全にゼロことは不可能なのだろうか。その波の間隔は広くなったとは思うが、それでもそれは色々な形で表れる。夢。これは一番卑怯だ。そもそもその夢を作り出しているのは自分なわけだから余計にもどかしいものである。あの脳が投影した状況自分が求めているシチュエーションなんだろうか。電話がつながらず相手にイラつかせ何故ゆえに肌を重ねて何度もごめんねとつぶやく。よくよく考えてみると気持ち悪さマックスなのだ。それにまたしても影響されてスパイラル。幻想をただ追いかけ、もやは現実像はどこえやら。虚像でしかなく実像は存在しない。存在するとしてもサイバー上、私的公共空間の中でしか会うことは果たせない。そもそも会うとかいっても情報としての文字あるいは画像と会うのみなのだ。それも一方的に。もはや実像はどんなだったのか音、匂い、感覚、感触、質感なんか思い出せない。完全に思い出せないわけではない、ただその感覚はだんだんなくなってゆく。匂いにしたって、どこかでその似たような匂いに触れない限り、自分の中に感覚として残っていて、そこから呼び覚まされる記憶にたどり着けない。そもそもたどり着きたいのだろうか。その段階はもはや卒業したはずだ。もう昔に昔に。だったらこの今の段階は何なのだろうか。忘却、成長、転化・・・たんなる長年追いかけたそれは過去の産物でしかないのだ。輝かしい若かりし頃の体験のひとつでしかない。それを今更どうのこうのなんかかんがえるなんてナンセンスにもほどがある。ましてや長々とこういった形で文章化するなんてなんの意味を果たさないだろう。それは分かっている。ただ自分が明確化しておきたいのはこうやって思考のプロセスを書き記したいだけなのだろう。その媒介手段としての過去の記憶の材料として租借しているようなものだのだ。そこは自分で分かっている。だったらそれでいいんだ。別に何も問題でもない。

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